魅力ある旅をするために、 現地のナマ情報が旅の良し悪しを決めるという常識……
『現地のきめ細かなナマ情報が旅の良し悪しを決める』という常識は、意外に生かされていないのが実情。
旅する前には、皆さんは雑誌やインターネットで現地情報の収集にあたるわけですが、そもそも、その情報源に信ぴょう性があるかどうか、これは大いに疑問です。それというのも、そのレポーターがどんな方法で情報を入手し、どんなスタンスで情報を収集・発信しているかで、情報の意味やクオリティーが随分変って来るからです。
情報のクオリティーや信頼性は、そのレポーターが信用できる人かどうか、という一点にあるといっても、過言ではないでしょう。自分の志向に合った感性を持ち、顔の見えるレポーターの情報こそ、あなたが選ぶべき情報源なのです。
お客様のご希望に合わせたご宿泊施設、お食事、観光地、見学地、現地情報、タクシー、バスなど、お客様に応じた旅行プランニングとお手配をいたします。
広島県知事登録旅行業代理業第31号
(株)ビサン ゼセッション
〒722-0045尾道市久保3-8-33
☎︎0848-37-5317 fax.0848-37-5354
メールはこちらinfo@bisan.co.jp
ホームページ「路地ニャン公の尾道ホッと情報」
ビサン ゼセッションという社名は……
<社名の由来>
クリムト、シーレ、ココシュカ、オルブリッヒ...多くの若い芸術家が、19世紀末の苦悩から新世紀への想いを焦がしたオーストリア。 SECESSION(分離派)が、彼らの合い言葉でした。1992年、私たちは「新しい風」とでも訳してみたいと思いました。(ゼセッションはドイツ語のゼツェッシォンを発音しやすく日本語化したもので、尾道の「新しい風」でありたいとの意味を込めました。)
<新会社の誕生>
1990年、尾道の中心市街地であり歴史地区に、突如、広島市内の建設業者による高層マンション建設計画が浮上しました。その計画に異論をもった市民が『尾道の歴史的景観を守る会』を発足させ、反対運動が展開されました。この運動に真正面から取り組み、多大な影響を受けた大崎義男が、備三タクシー株式会社の子会社として誕生させたのが株式会社ビサン ゼセッションです。
[BISAN SECESSION]という社名は、備三タクシーから分離し、19世紀末の芸術運動にあやかり、尾道に「新しい風」を吹かせたいという思いを秘めた大崎義男が、当時の備三タクシー株式会社会長であった父・大崎岩男に提案し、誕生させたものです。その後、2019年、(株)ビサン ゼセッションは、備三タクシー(株)から完全に資本を独立させた会社となりました。
……ということで、尾道を支援する芸術家たちや知識人とさまざまなプロジェクトを組みながら、まちづくりを実践するネットワーク型企業経営をめざし、主にJTB代理業と総合企画業という二つの業務を行う会社を1992年5月28日に設立、同年8月8日に開業しました。
クリムト、シーレ、ココシュカ、オルブリッヒ...多くの若い芸術家が、19世紀末の苦悩から新世紀への想いを焦がしたオーストリア。 SECESSION(分離派)が、彼らの合い言葉でした。1992年、私たちは「新しい風」とでも訳してみたいと思いました。(ゼセッションはドイツ語のゼツェッシォンを発音しやすく日本語化したもので、尾道の「新しい風」でありたいとの意味を込めました。)
<新会社の誕生>
1990年、尾道の中心市街地であり歴史地区に、突如、広島市内の建設業者による高層マンション建設計画が浮上しました。その計画に異論をもった市民が『尾道の歴史的景観を守る会』を発足させ、反対運動が展開されました。この運動に真正面から取り組み、多大な影響を受けた大崎義男が、備三タクシー株式会社の子会社として誕生させたのが株式会社ビサン ゼセッションです。
[BISAN SECESSION]という社名は、備三タクシーから分離し、19世紀末の芸術運動にあやかり、尾道に「新しい風」を吹かせたいという思いを秘めた大崎義男が、当時の備三タクシー株式会社会長であった父・大崎岩男に提案し、誕生させたものです。その後、2019年、(株)ビサン ゼセッションは、備三タクシー(株)から完全に資本を独立させた会社となりました。
……ということで、尾道を支援する芸術家たちや知識人とさまざまなプロジェクトを組みながら、まちづくりを実践するネットワーク型企業経営をめざし、主にJTB代理業と総合企画業という二つの業務を行う会社を1992年5月28日に設立、同年8月8日に開業しました。
(株)ビサン ゼセッションの業務は、JTB代理業と総合企画業
<旅行業代理業>
<総合企画業の主な実績>
(株)ビサン ゼセッションの公式ホームページ「路地ニャン公の尾道ホッと情報」の路地ニャン公とは……。
路地ニャン公とは、(株)ビサン ゼセッションと出会いの装置製造本舗の共同企画で、1992年7月に実施したシンポジウム「モノクロ曼荼羅色とりどりーPART 3『画面の中の路地考』」(後援:建設省/現国土交通省)において誕生させた姿の見えぬ透明猫・元祖「露地ニャン公」。姿が見えないのは忍びないとビサン ゼセッションのアドバイザーでもあった四コマ漫画家の川口協治氏(1948-2013)に依頼し、19??年5月に忽然と七変幻の「路地ニャン公」がこの世に姿を現し、現在に至っています。